「オマージュ」という怠慢
他の作家から刺激を受けることは大切な事だと思う。
しかし古典以外の単一の現代作家から刺激を受け続ける事はどうだろうか。
その人が様々な経験や知識の収集を経て生み出した言葉や作品や感性を、
「オマージュ」という自己弁護によって美味しい部分だけを手っ取り早く享受したいだけの怠慢に思える。
時に行動、時に「どうしたら自分が勝てるか」
感謝の押し売りは気楽な商売だ。
その人が居れば一生安泰で居られるだろうから。
鍵をこじ開けて空き巣に入った泥棒が「不用心だから戸締りをしておきました」と言って立ち去るようなものだろう。
私は作品を生み出すという事に「あの人よりも勝ってやる」
「このような脚光を浴びて楽しい思いをしたい」などという動機で制作に至っていません。
それは常に「大切なものたち」への本当のオマージュによるものです。
そこに不本意な相手からのマウントを挟まれることは不愉快で溜まりません。
一人の作家の言動に依存し、当てこすりな表現と「模倣にならない程度」の作品を生み出すことで
いかに自分が相手よりも優位であるかのマウントを取りたがる作家とは制作に至るベクトルが全く違います。
そのような人からの一方的な干渉によって自分の大切なものたちへの表現がマウントの応酬に使われたくありません。
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