侘び寂び・禅の心

侘びと寂びについて自分なりにまとめた解説をいたします。


私が以前

「写りの悪いカメラが好き。

設定次第で自分らしさが出せるから。

例えば尾ひれの曲がった(売り物)にならないような安売り金魚の方が好き。

愛するために飼ったことをいつも感じさせてくれるから。

揃いすぎたものは何がしたかったのかわからなくなるから」

といった話はプロカメラマンや精巧な職人に対して、受けとり手によっては語弊を生むかもしれないと思うので。


まずこの考えの詰まるところは禅宗の侘び寂びの思想に基づくものです。


私が幼い頃から敬愛してやまない伊藤若冲もまた、裕福な商家の後継ぎでありながら早々に家督を譲り、隠棲して絵を描くことだけに専念するようになり、後年、禅宗に深く傾倒してゆきました。


禅の教える侘び寂びとは悟りを得るまでの禅の哲学から生まれた美意識です。


だからこそ、完全・対称・規則的なものは終わりがあって、悟りに至る心の過程が生まれません。

非対称で不規則で不完全なものには終わりがないので、そこに悟りを目指すことによって美意識や価値を見つける心の働き、精神性が評価されるのだそうです。


侘び茶の祖といわれる村田珠光が言った

「月も雲間のなきは嫌にて候」

(光り輝く満月よりも雲から見え隠れする欠けた月の方が趣があって美しい)


「藁屋に名馬繋ぎたるがよし」

(豪奢な振るまいができる身分であっても、それを善しとせず、粗末な藁の家に高価な名馬を繋ぐような精神でいることが望ましい)

この言葉こそ侘び寂びの真髄とも言えるそうです。

実際に彼は粗末な道具や品物を善しとして茶席を設け客人をもてなしたそう。


禅は自然の原理や欠けたものの内側から滲み出る価値に気づくために、表面的な複雑さを捨てて、

簡素で静寂な場所に身を置き、あらゆるものを受け入れる受け身でいることが必要とのこと。


侘びは「わびしい、貧しい、粗末である」という様子から。

寂びは「寂れる」経年によって生ずる古びた様子。または静寂。


明瞭な物質的な価値に満足することなく、欠けているもの不完全なものにこそ価値や趣きを見出だすことは、

つまり人びとが本来持っている仏性を見つけることであり、禅の目的と合致するのだそうです。


詳しくはお近くのお坊様まで🙏合掌

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安栖 千晶 あとりえきりえ

切り絵作家 彩色切り絵を研究 Asu Chiaki Paper cut out artist My paper cut out work are coloring paper cut out. Art of coloring and cutting out only one sheet of paper.